2011-08-19

父への詫び状



中学生のころ、
父に一冊の本を読むようにと勧められたことがあった。

当時、
人に(特に父に)薦められたものを素直に受け入れることができなかったわたしは
その本に見向きもしなかった。
「死んでも読まない」ぐらいに思っていた。
友だちが持っているかわいい文房具や流行りの歌には敏感だったあのころ。
読まないという姿勢で小さな反抗をするわたしとは逆に、
弟たちはせっせとページをめくっていた。

その後、わたしが高校生、大学生になっても
父は、ことあるごとに「あの本は読んだか」「まだ読んでないのか」と繰り返した。
それがうっとうしくて、
絶対に読むものかとさらに決心を強くしたのだった。
くだらなすぎるギャグばかり言い、お酒を飲んでは酔っぱらって床で寝て、
そればかりかわたしの宿題を勝手に採点することもあった父。
素直に読むなんて、考えられなかった。





だが、
どんなに「読まない」と思っていても
不思議とその本の題名が頭から離れることはなかった。

そして、家族から遠く離れて暮らしている今、
その本が急に読んでみたくなった。
今、読まなくてはいけないような気がした。





竹山道雄の「ビルマの竪琴」。





日本の書籍が多くそろっている図書館や書店を探したが見つからず、
仕方なく電子書籍で読むことにした。
一気に読んだ。
だいたいの内容は知っていたが、
これほどファンタジーの要素が強く表現も美しい作品だとは思っていなかった。


戦争時代の日本人と今の自分とでは、状況が違うけれど、
異国の地にいながら祖国を思うあの部隊の気持ちは、なんだか分かる。

特に、下の引用部分には作者の思いがよく表れていて考えさせられた。
多分、中学生のときに読んでいたらこの部分は気にとめなかっただろう。


「この人は誠実な人です。やや固くるしいほどの責任感をもっていてかげ
日なたをつけるなどということは考えることもできない人でした。隊長が元
気がなくなってからは、隊のことはこの人が中心になってひきしめていま
した。ただ、歌こそは「うたう部隊」の中でいちばん下手でしたが。


この人はもともと下級の勤人だということでした。復員してから一度あった
ことがありましたが、多くの家族をもって、やぶれた家にすみ、色のあせた
服をきて、混んだ乗物にのって勤めにかよって、休むことなく働いていまし
た。あまり顔色もよくなく腹を空かしていたらしいのですが、そんなことは何
もいいませんでした。


私はよく思います。
―いま新聞や雑誌をよむと、おどろくほかはない。多くの人が他人をのの
しり責めていばっています。
「あいつが悪かったのだ。それでこんなことになったのだ」といってごうまん
にえらがって、まるで勝った国のようです。ところが、こういうことをいって
いる人の多くは、戦争中はその態度があんまり立派ではありませんでした。
それが今はそういうことをいって、それで人よりもぜいたくな暮らしなどをし
ています。
ところが、あの古参兵のような人はいつも同じことです。いつも黙々として
働いています。その黙々としているのがいけないと、えらがっている人たち
がいうのですけれども、そのときどきの自分の利益になることをわめきちら
しているよりは、よほど立派です。
どんなに世の中が乱脈になったように見えても、このように人目につかない
ところで黙々と働いている人はいます。こういう人こそ、本当の国民なので
はないでしょうか?こういう人の数が多ければ国は興り、それがすくなけれ
ば立ち直ることはできないのではないでしょうか?」

 
この作品が出版されてから、もう60年以上が経つ。
でも、ここに書かれていることは現代にも通ずる部分が多い気がして
改めて文学のすばらしさを感じずにはいられない。
 
 
さらに、この部分に続いて、
部隊のめいめいが
日本に帰ったあとの生活をそれぞれに思い浮かべる場面があるのだが、
どの兵も、
自分の仕事に誇りをもち、ささやかながら幸せのある生活を望んでいる。
 
 
ジーンとしたし、自分の場合はと考えたりもした。
でも、それ以上に想ったのは、
だれを責めるでもなく、こつこつと地道に働く父の姿である。
 
 
くだらないギャグのシュールさも、あの頃のわたしには理解できなかっただけ。
実際、大人になってからは、その辺の芸人よりおもしろいと思うようになった。
お酒を飲んで床で寝たくなる気持ちも、今はよく分かる。
 
 
 
 
 
「この本を読め」と最初に言われてから15年以上。
そして日本からは20000km離れている。
 
これだけの年月を経て、
 
これだけの距離を隔てて、
 
今やっと、
 
あのころの父の思いに触れられた気がする。
 
 
 
 
 
 
 

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