2011-05-31

ブログ休止のお知らせ

いつも読んでくださってありがとうございます。

突然ですが、しばらくの間ブログの更新をお休みすることにしました。

たぶん一か月くらいだと思います。

7月から、ブラジルの学校の多くは冬休みに入るので、
その頃にはきっと再開していると思います。




サンパウロは最近とても寒いです。
みなさんも、体調にはお気をつけください。

では、またそのうち。

2011-05-29

念願の東山農場へ

昨日の会議のため、同期ボランティアがサンパウロに集まっていたので
今日は何人かで社会見学に行ってきました。




会議のあった
リベルダージ地区から
車で2時間くらいの
カンピーナスという所にある、
東山(とうざん)農場です。

以前から
行きたかった場所なので
うれしいです。





この農場のメーカーである"Tozan"の醤油や料理酒、みりんは、
日本の調味料に近い味で、同期ボランティアからも評価が高いです。
また、「東麒麟」という日本酒も作っています。




さて、
1927年に岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男。「東山」は弥太郎の雅号)によって創立された
この東山農場は、
NHK80周年記念ドラマ「ハルとナツ~届かなかった手紙~」の
撮影場所として使われたことで有名です。

このドラマは、
日本からブラジルへ移民としてやってきた人々の暮らしぶりや思いがよく分かるもので、
横浜での訓練時代にDVDを借りて観たのですが、とても勉強になりました。

米倉涼子や仲間由紀恵の他、わたしの大好きな北村一輝も出ています!!
まだご覧になっていない方はぜひ☆
ドラマについて詳しくはコチラ↓ ↓ ↓



この農場では、ドラマの9割以上のシーンの撮影が行われたそうです。





舗装されていない道に
簡素なつくりの家が並びます。

これらの家々は
現在も実際の住居として
使われています。








ハルたち一家が住んでいた家。

中は本当に質素。
移民たちは
木の板で作ったベッドに
草を敷いて寝ていたそうです。







これもドラマで使われた小屋。

撮影のために数々のセットが作られ、
そのうちいくつかは観光客用に
そのまま残されています。





 

日本から移民が来る前は、
この農場の働き手は奴隷でした。
そのため、農場内には
奴隷収容のための施設もありました。 
最初は窓もなかったというので
その生活条件の酷さにはぞっとします。 




 

みんな、
解説を聞きながら
熱心にメモをしたり写真を撮ったり。









ところで、
奴隷や移民たちは、この農場でどんな仕事をしていたのでしょうか。


彼らは、
過酷な労働条件のもと、
この左の写真の作物を
主に栽培していました。

早朝から夜まで、休みなく。
厳しい環境や病気と闘いながら。

彼らが一生懸命作った
この赤い実は、
一体何でしょう。





答えはコーヒーです。
ポルトガル語では、カフェ。
「フェ」にアクセントがあります。

コーヒーはあんなに黒いのに、その実がこんなに赤いなんて!!



カフェ以外の作物として
さとうきびやユーカリが
挙げられますが、
現在も約250haに及ぶ
広大な土地で
かつての移民と同じく
カフェの木を育てています。

見晴らし台からは
すごい数のカフェの木を
眺めることができます。






カフェの木は、放っておくと4m以上になります。
収穫が大変なので、2mくらいに剪定して機械で一気に実を取るそう。
この機械を発明したのは日本人だそうです。




本当は
色や大きさを見ながら
手で収穫した方が
おいしくて高価なコーヒーが
できるそうですが、
こんなにたくさん実がついたら
全部摘むのは大変です。






それでも、なるべく細かく分類して粒をそろえておいしいコーヒーができるように
様々な工夫がなされていることが、今回の見学で分かりました。



実際にいただいたコーヒーは
しっかりした味と香りで
とてもおいしかったです。







農場内は、カフェの木以外にもいろいろな花や果物の木でいっぱいです。


こんなに大きくて重たいアボカドも
ありました。

ブラジルのアボカドは
砂糖&レモンをかけて食べると
とてもおいしいです。







昼食も農場でいただきました。
野菜はすべて
この農場で作られているそうです。
青空の下で、仲間と食べる昼食は
格別でした。





この農場については、歴史も広さもすごすぎて書ききれないので
興味のある方はコチラのサイトをどうぞ。
  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
www.bizpoint.com.br/jp/reports/oth/ti0511.htm




今日学んだことを振り返りながら、ぜひもう一度ドラマを見たいなと思います。



2011-05-28

帰国報告会

27日(金)は、現在ブラジルに派遣されているボランティア隊員が全員集まっての会議でした。
一期先輩の方々の任期終了に伴う、活動報告会が行われたのです。

派遣されてから今までの活動内容を各々の視点で見つめた31名の発表は、
どれも参考になるものばかりでした。

現地職員との間に生じる言葉の壁、授業にあたっての具体的なシステム作り、
生徒間のレベルやモチベーションの差など、
自分が最近ちょっとつまずいている部分についてのヒントをもらえたと思います。



また、同期ボランティアとも久しぶりに再会し、たくさん話すことができました。
その話の中での、
「夏休みや冬休みを差し引くと、今の学校で活動できるのは本当に短い間」
「派遣から今までは速かったけれど、これから帰国まではもっと速い」
という言葉にどきっとしました。
現職派遣で参加しているわたしは、来年の3月には日本に戻ります。
そう考えると、
残りの任期の間に自分にできることや自分のやりたいことを、
この機会にもう一度考える必要があるなと思います。



励みになり、そして元気とやる気をもらえた会議でした。







←語学クラスのメンバーと。
  もうあれから一年。懐かしいなぁ。

2011-05-26

学校視察レポート⑨

月、火とちょっと遠くの学校を見学し、昨日の夜サンパウロ市内に戻ってきました。
バスと地下鉄での長距離移動は、ちょっときつい。。。
サンパウロのラッシュ時の渋滞と混雑は、本当にすごいのです。



さて、今日は自分の学校で日本語授業をしたあと、
すぐ隣の地区にあるExatus学園という私立学校へ見学しに行きました。
同期ボランティアが派遣されている学校で、小学生から高校生までの生徒が通っています。
この学校がある地区は、沖縄移民がとても多く、
Exatus学園に通う日系生徒は50%近くになります。







地下鉄の駅を出て
すぐのところにあります。

町なかにあるので、
パッと見では
学校だと気づかない感じです。










この学校は
創立20年くらいだそう。
でも、
教室も机もいすも
とってもきれいでした。









今日は午後だけの見学でしたが、
他の学校では見られない特別な授業を見ることができました。

その授業とは…。



ウチナーグチです。
沖縄にルーツをもつ方が多い地域だけあって、
毎週3時間、一般の方を対象に授業が行われています。

今日は特別に
日本から昨日来られたばかりの特別講師さんのお話を聞くことができました。




沖縄で生まれ、
5歳で戦争を経験し、
家族でブラジルへ移民して来て、
アルゼンチンやアメリカへ渡り、
現在の住まいである
滋賀県に至るまでの半生。

ポルトガル語での講演だったので
耳のトレーニングになりました。





戦争の体験談も、移民としての苦労話も、故郷への思いも、
深く心に残る講演内容でした。


講演会の後は、
ウチナーグチの生徒さんたちと
簡単なウチナーグチのあいさつを教わりながら、一緒にカフェをいただきました。





 「イッペーマーサン!!」
これは「とてもおいしい!!」という意味の
ウチナーグチです。






ブラジルの学校で
まさかウチナーグチを教えている学校があるなんて…。

本当に、ブラジルの学校はいろいろです。



2011-05-25

学校視察レポート⑧ その3

続いて日本語の授業の様子です。


スザノ日伯学園では、午前中はブラジル教育課程に基づく授業が行われ、
午後は日本語授業と選択制のクラブ活動の時間になっています。
サッカーやダンス、テニスに英語など、クラブ活動はとても充実しています。
日本語は5年生までは必修で、それ以上は希望制。
レベルや学習内容によってクラスが分かれています。
生徒たちは、自分のやりたいクラブ活動と日本語授業を組み合わせて、
それぞれ違う時間割で午後を過ごします。


日本語が必修ということで、
校内は掲示物や教材がとても充実していました。





これは
同期ボランティアの
スザーナが作った掲示物です。

ポルトガル語の吹き出し部分を開くと
日本語訳がひらがなとローマ字で
書かれています。

仕掛けのある掲示物は
生徒にとても人気のようです。







生徒の約半数は日系で、
子どもに日本語を学ばせたいと思っている保護者の方も多いそうです。
ですが、「必修」となるといろいろ難しい点が出てきます。

楽しく日本語に触れることのできる場を作るために、
スザーナをはじめ、日本語の先生方は様々な工夫をされているようでした。




日本で生まれた子や、
ブラジルで生まれてすぐ日本に行き、日本の学校に通っていた子もいるので、
読み書きがある程度できる生徒も何人かいます。
その生徒たちのクラスを見学させていただきました。




始業後10分くらいは
読書の時間。

先生が読書の指示を出すと、
生徒は本棚から
それぞれ本を持ってきて
黙々と読み始めました。










どんな本を読んでいるのかな。

のぞいてみると、
漢字もたくさん入っていて
字も小さい、難しい本です。

10分過ぎたところで、
名前入りの栞をはさんで
また本棚に戻します。







読書が終わると
今度は書き取りの小テスト。
先生が読んだ文を
ノートに書いていきます。

答え合わせは、
一人一問ずつ黒板に書き、
先生が解説をしながら
自己採点です。

なんだか日本の国語の授業みたい。






別の教室では、ひらがなの練習をする生徒が集まっていました。
とは言っても、進度はまちまちです。
まだ五十音を全て覚えていない子や、拗音でつまづいている子、
それぞれの生徒に合わせて問題を用意しなくてはなりません。






ある子は
テキストの問題を解き、
その間に
別の子は黒板を使って
復習問題に挑戦です。











ブラジルの子どもたちにとって
ひらがなはすごく難しい記号です。

テキストを一通りやっただけでは
覚えきれないのが現状。

スザーナは
その子の力量に合わせて
一人一人のノートに
手書きで問題を書いていました。
すごい!!
わたしもやってみようかな。










授業後、
職員室にあった
豊富な日本語教材を見せていただき、
今後の授業のアイディアを
たくさんもらいました。

ニーズが違うので
同じようにとはいきませんが、
生徒が楽しく学べるように
教材研究に力を入れたいと思います。








 

学校視察レポート⑧ その2

前回に引き続き、スザノ日伯学園の様子です。





この学校はとにかく広い!!
体育館も、
わたしの配属先より
ずっと大きかったです。

体育の授業では、
一クラス10人強の人数で
体育館をまるごと使っていました。










外には畑もあります。
レタスやさつま芋、にんじんなどが
植えられていました。

芋掘りも授業で行うそうです。








畑を見学していると、一年生の子どもたちがやって来ました。




レタスの苗を植える授業みたいです。

一人ずつ、
先生から苗を受け取って
畑に植えていました。





日本では、学校でアサガオやヘチマなどを育てる授業は珍しくありません。
でも、ブラジルでは屋外で体験活動ができる学校は少ないです。





受け取った苗を土に植え、
小さな手でそっと土をかぶせる様子が
とてもかわいかったです。












レタスを植えた後は、
畑のすぐそばにある木へ移動。

みかん狩りです。

先生が取ってくれたみかんを
みんなで食べました。









先回の公立学校でバナナの折り紙を作ったとき、
多くの子がバナナの木や葉っぱはどんな形なのか、あまり考えずに描いていました。
よくある木の形を描いて、緑と茶色で塗る子がほとんどでした。
唯一、ある男の子だけが、バナナの葉を他の木と区別して描いていました。

やっぱり、実際に体験したり観察したりする活動を経験していないと、
物事の本質を知らずに、深く考えないままに過ぎてしまうんだなあと思いました。



スザノ日伯学園の充実した施設に感心するとともに、
学校間の差の大きさを改めて感じました。




学校視察レポート⑧ その1

24日(火)は、
サンパウロ州のスザノにあるセニブラス(スザノ日伯学園)という私立学校を訪れました。
先回のコチア同様、同期ボランティアが派遣されている学校です。
小学校から中学校までの年齢の生徒、約400人が通っています。





こちらの学校は
汎スザノ文化体育農事協会
(アセアス)という団体によって
設立されました。

体育団体が前身というだけあって、
様々なスポーツ施設が整い、
とても広いです。






校舎内に入ると卓球台がずらり。
校長先生は現役の卓球選手だそうです。

始業前や休憩時間には、生徒たちが
我先にとマイラケットを持って集まります。




その様子を見ていると、
遊びの「ピンポン」の感覚ではなく、ちゃんと基礎練習を積んだ「卓球」のフォーム。
週一回の卓球クラブがあり、生徒たちはそこで技を磨いているそうです。






校舎の周りには、広い運動場や
フットサルのコート、野球場まであります。









大きなプールもありました。

ブラジルの学校には
プールが無いのが普通です。








テニスコートは6面も!!
照明も完備です。






アセアスは、1958年の創立当時は会員数も加盟団体も多かったのですが、
日系一世の数が減るとともに、一気に弱体化が進んだそうです。
そして、それに歯止めをかけるために創られたのがこの学校です。

創立5年のまだ新しい学校ですが、
生徒数は急激に増え、食堂や特別教室などの設備がどんどん新しくなっています。






日系団体が本体ということで、
校内には日本語の石碑や表示を
たくさん見かけました。

この学校では、
5年生までは
日本語教育を必須科目として扱っているそう。
生徒たちは普段から
日本語に触れて生活しているのです。








次回、授業の様子を紹介します。