2011-07-29

久しぶりの学校

まだ冬休み期間中ですが、久しぶりに学校へ行ってきました。




行ってびっくり(゜o゜)

大がかりなリフォームが進んでいました。





教室の廊下側の壁が
大きなガラス窓に!!

外からも様子が分かるし、
室内が一気に明るくなって
とってもいいと思います。






今までは、出入口用のドアが各教室に一つしかなく、
廊下側には窓もなくて、とても暗くて「密室」という感じでした。
前から「こうなったらいいな」と思っていたので、
今回のリフォームはすごく感動しました。

生徒が登校し始める8月3日までの間、
まだまだリフォームは続くようです。



さてさて。
今日なぜ学校に来たかというと、
沖縄から「教師海外研修」としてブラジルの学校を見学しに来た先生方に、
学校の沿革説明や校舎案内をするのを手伝うためです。

去年も同じ研修があったのですが、
そのときはまだ配属先に来た直後で何もわからず、
案内するどころか自分が初めて知ることばかりだった気がします。


1年が経つのって速いなぁ。


すっかり見慣れた景色も、
初めて訪れた人たちと一緒に見て回ると、とても新鮮に感じられました。


 

← 集合写真

去年も感じたのですが、
沖縄の先生方は、
初対面でも
とっても気さくで
明るい方が多いです。





 


今日の会では、ブラジルの学校についてもたくさん話しましたが、
沖縄情報もいろいろ知ることができました。
前から気になっていた、「沖縄では泡盛をコーヒーや牛乳で割る」というウワサも
事実だと判明しました!!
さらに、「コンデンスミルク割り」というのも存在するらしいです。
超おいしそう(#^.^#)
わたしはまだ一度も沖縄へ行ったことがなくて、
日本に帰ったら絶対に行きたいと思っていたのですが、
今日の会を経て、さらに行きたくなりました。



この会は明日も続きます。
明日は、愛知県から来られた先生方も加わっての会議が行われます。
たくさん話して交流を深められたらと思います。



~余談~
今日の会で一年の月日を実感したので、
一年前の7月29日に初めて食べた
「アボカドのレモンシュガー和え」を作りました。
初心に戻った気がします。。。
あと8か月弱、がんばるぞー!!






2011-07-28

モアイは消える?

イースター島で
たくさんのモアイに感動しながらも
常にわたしの頭を離れなかった心配ごとが一つあります。

それは、次の教科書改訂により
光村図書の国語教科書の題材として
安田喜憲著『モアイは語る ―地球の未来―』が今後も残るかどうかということ。
せっかく実際に行ったのに、
題材がなくなったらかなりショックです。。。

さっそく家に帰って24年度版の教科書について調べてみると、
浅田次郎や椎名誠の作品など、おもしろそうなものが増えていました。
かわりに、吉野弘や今江祥智の作品がなくなっています。
けっこう好きだった詩や物語が消えてしまうのはさびしいものです。
作品のよさだけでなく、授業の思い出もたくさんつまっているので。

国語教科書の題材は
大人になってからも心に残っているものがいくつかあります。
同年代の友達などとそれについて話すこともしばしばありますが、
「あったよねー」とか言いながら
懐かしい思いでいっぱいになるあの時間が、わたしはけっこう好きです。



で、
問題のモアイですが、、、


残ります!
消えません!!
よかったー。


こんなにドキドキしなきゃいけなかったのも、
行く前にちゃんと調べておかなかったのが悪いんです。

ほっとすると同時に、
日本に帰ってもし中2を受け持つことになったら、どんな風に授業をしようかと
ぼんやりと考えるこの頃です。

神秘の宝庫 イースター島③

イースター島には、約1000体のモアイ像があると言われています。




でも、
立っているのは
わずか数十体ほど。

残りは全て
倒れていたり埋もれていたり。
中には
作りかけのまま
放棄されているものまで
あります。






「モアイ」の「モ」は未来、「アイ」は生きるという意味だそう。
つまり、「未来に生きる」ということ。
かつて、
モアイは海に背を向けて立てられ、島の人々を見守る役目を担っていました。
モアイはイースター島の人々の繁栄を願って作られた像なのです。

それなのに、
結局はモアイを作りすぎたことによる森林の消滅とそれに伴う食糧危機で、
イースター島は繁栄ばかりか絶滅の危機に追いやられることに。
部族間の争いが激しくなり、モアイは倒されていきます。

モアイを作る石切り場(製造場)のラノ・ララクには、
山の斜面に作りかけのモアイが何体もありました。





鼻まで埋もれてしまって
とても苦しそう。







倒れたモアイの横には、
「登ってはいけません」の
標識がありました。

昔、倒れたモアイに
落書きをした日本人がいました。
そんな観光客のために
こうした標識が必要と
なったのでしょう。
ちょっと悲しいです。





こちらは数少ない足つきモアイです。
なんと正座しています!!
少し前までは囲いはなかったみたいですが、
やっぱりこうして守らないといけないのかなあ。




これらのモアイたちは、目も入っていないし口も堅く結んだ表情なので、
とってもさびしそうに見えました。



 

でも、この写真を見てください!!
堂々と立つ15体のモアイ像です(アフ・トンガリキにて)。



このモアイを立てるために、
「タダノ」という日本のクレーン会社が修復事業に携わったそうです。
ちなみに、この会社は高松塚古墳の解体や
カンボジアのアンコール遺跡群の修復にも協力したとか。すごすぎ!!


それにしても、こうしてしっかり立っていると
本当に島を守ってくれそうな威厳に満ちている気がする。。。



イースター島は、
哀愁ただよう感じとミステリアスな感じ、
そしてポリネシアの明るい雰囲気が混ざった不思議な場所です。
そう簡単に行けるところではないですが、
とてもお気に入りの場所になりました。






2011-07-27

神秘の宝庫 イースター島②

前回からの続きです。

イースター島には、島の歴史やモアイについての博物館があります。

館内の展示物は、全てスペイン語で表記されていますが
日本語ガイドの最上さんが訳したガイドブックを貸してもらえるので助かります。




小さな建物ですが、
展示内容の充実度は
とても高いです。

展示パネルを読むだけでも
すごく時間かかった!!
久しぶりに
脳みそをフルに使いました。






島に来る前にちょっとだけ下調べをしておいたのですが、
やっぱり実際に来てみると新しい発見がいっぱいで驚きの連続でした。
資料館の内容以外にも、たくさんの「!」がありました。


例えば…
モアイの頭に乗ってるあの赤茶色のは帽子じゃないんです!!



昔、この島の男の人は
髪を伸ばして束ねていましたが、
これは神のパワーが宿ると
考えられていたからだそうです。

モアイの頭に乗ってるのと同じ形だ!!





あの帽子のようなものは「プカオ」と呼ばれ、「髪飾り」という意味なのだそうです。
ちなみに、この島には今でもロンゲの人が多いです。


それから、
食糧不足などが原因で部族間の争いが起きたときは、
下の写真のような洞窟に隠れて生活をしていたということも分かりました!!



この洞窟には
生活に必要なものが
いろいろあります。

バナナ、さつま芋、タロイモなど
食糧となるものだけでなく、
タバコや薬になる植物まで。
調理場やベッドもありました。







 

さらに、
島の伝統料理「ウム」をいただくこともできました!!
電気やガスを使わず、焼いた石の余熱で調理をしたもので、
バナナの葉にいろいろな食材をくるんで蒸し焼き状態にするのです。


 

バナナの葉を開くと、
魚、豚肉、鶏肉、
さつま芋、パンケーキが
入っていました。

味付けはとってもシンプルで
塩と香草のみといった感じ。

素朴ですが
とてもおいしかったです。





一日前に予約してから行ったのですが、
本格的に作るには一週間前から準備が必要なのだとか。
気になる!!
機会があったら絶対に食べてみたいです。




こんな感じで、
歴史も食文化もいろいろ知れて、いい旅でした。

神秘の宝庫 イースター島

冬休みを利用して、イースター島に行ってきました。

国語の教科書(光村図書・中2)に『モアイは語る』という題材があるのですが、
それを読むたびに
「いつか必ず行ってみたいな」と思っていました。
文章が生まれた場所に実際に行けるというのは、
これ以上ない教材研究だと思います。
それにしても、中学生はなんであんなにモアイが好きなんだろう…。



さて、
上にも書いたとおり、イースター島と言えばモアイですが、
森の消滅や人口増加によって島は絶滅寸前になり、モアイの時代は終わりました。
ここまでは国語の教科書に載っています。
しかしその後、新たな時代、「鳥人(ちょうじん)伝説」時代があったそうです。

でも、なぜ鳥?
海の中にぽつんと浮かぶイースター島は、まさに「絶海の孤島」。
外からやってくる鳥は、とても神聖な生き物として崇められたようです。
調べたら、グンカンドリという鳥でした。







左の写真の
一番奥に見える島に、
毎年9月~10月ごろ
グンカンドリが
卵を産みにやって来ます。 









各氏族の代表が
泳いで(!!)その島まで行って
卵を取って戻ってきます。

上の写真では分かりませんが、
イースター島の波は
そうとう激しいです。
それにサメも。
本当に命がけの儀式です。











この儀式は毎年行われ、
一番早く卵を持って帰って来た人が
その年の鳥人になります。
鳥人が属する氏族の長が、
一年間 王となって
イースター島を治めたらしいです。


鳥人になった人は、
眉毛もまつ毛も剃って、
写真のような鳥人スタイルに!!




そして、島の人たちから隔離されて、
特別に作られた小屋で生活したそうです。


今ではこの鳥人の儀式は行われていませんが、
教会の木彫りの像にはしっかりと鳥の姿がありました。



ところで、
このイースター島に昔やって来た民族の中に、「ラピタ人」という民族がいます。
定かではないですが、台湾にルーツがあるらしいです。
途中で日本(沖縄)も通りつつ、
小グループに分かれてポリネシアの島々を渡って、
イースター島にたどり着いたのだとか。
日本語の音韻体系は、このラピタ人の話す言葉に共通したものが多いという説もあり、
とっても興味深いです。

それから、
鳥人伝説は「風の谷のナウシカ」の「鳥の人」のモデルだそうです。
ちょっとそうかな~と思って調べたら、本当みたいで驚きました。
それに「ラピタ」って言葉も気になる!!

実際、
朽ち果てたモアイ像たちが緑の草むらに横たわっている風景を見ると、
何となく、あのロボットに重なるところがあるのです。


研究が進んでいるとは言え、
まだまだ謎に包まれた部分が多いイースター島。
実際にその景色を目の当たりにしてみて、
たくさんの伝説や物語が生まれる理由が分かった気がします。





2011-07-09

元気です。


ずいぶん更新が滞ってしまいましたが、
みなさんお元気ですか。

一か月以上ぶりに書きます。




6月30日で
日本語の授業も一区切り。

少し急ぎ足でしたが、
なんとか平仮名を
全て紹介できました。

今は冬休みの
真っ最中です。






本当は、6月は書きたいことが山ほどありました。
フェスタ・ジュニーナというブラジルの代表的な行事も行われ、
写真もたくさん撮りました。

ブログを書くのは大好きですが、
どうしても時間がかかってしまうのがちょっと難点なのです。
日本語を使う時間が長くなると、
なかなかポルトガル語が身に付きません。
6月は、ちょっと更新するのを休んで
ポルトガル語に触れる時間を長くしていました。
残念なことに、成果はあまりない気がしますが…(-_-)

記事を書いていない間にあった
あんなことやこんなこと、
冬休みの間に少しずつ書いていこうと思います。





ところが!!
その7月も、ここぞとばかりにスケジュールを詰め込んでしまいました。
広いブラジルの各地で活動する仲間を訪ねて学校見学をしたり、
今を逃したらも一生行けないかもしれない場所を訪れたりするつもりです。

また落ち着いたら更新したいと思います。
















←ブラジリアにて。
 後ろに見えるのは国会議事堂です。