2010-11-06

ニッケイパレスにて②

昨日に引き続いて、デカセギについてのシンポジウムに参加してきました。
今日は、
親の仕事の都合で日本で生活することになった
ブラジル人の子どもたちの教育に関する講義があって、とても興味深かったです。




質疑応答の時間は
とても白熱したものでした。
質問というよりは、
持論を延々と述べる方も多く
みられました。
わたしが今まで経験してきた
淡々とした会議とは
全然違う雰囲気でした。





講義内容もよかったですが、
昨年と一昨年の同シンポジウムの内容をまとめた冊子が配られ、
それがまた読み応えのあるものでした。
まだ少ししか読んでいないですが、一部を抜粋します。
浜松学院大学准教授の津村公博先生の発表からの引用です。


質問者:帰国するって親が言い出したのは、いつくらいから?
少  女:8月の終わりに、「12月までには帰るから」と言われ、今月に入ってから
「11月に帰るよ」と言われた。日本に残ってやっていきたいと思ったけど、まだ15歳
だし、なんだかんだ言っても、親がいないと何もできない。
質問者:やっぱり、日本にいたら、仕事の面で将来はないと思う?
少  女:私、親に言われたの。「あんた、どうやって生きていくの?」って。女の子
ひとりのお給料で、家賃払って生活費払って、それでギリギリだって。お父さんは、
日本にいても死ぬまで働けるって言ってる。でも、仕事で何ができるの?って聞か
れたら、やっぱり返事できない。ブラジルからデカセギで来た人が、例えば係長に
なるとかいうことは、ありえない。日本にいても、一生こんな生活しなきゃいけない
んだよ、ってお父さんに言われたの。お父さんは46歳だから、そういうことを言って
るんだなと思った。お父さんは、早くブラジルに行った方がいいって、分かるんだよ。
私は、それに反対するつもりはない。親が行くところについて行くし、できることなら
何でも手伝う。でも、日本で育ったし友達も全員日本にいるし、日本にいたいって
思う。でも最近はブラジルでもいいかなって思い始めてる。でも、日本には友達が
いるから。みんながいて、今の私がいる。私にとってすごく大切な人たちだから、
ブラジルに帰るのは嫌。みんながいなきゃ、私じゃないんじゃないかって…。
私、18歳になったら日本に戻ってくる。成人して自分でビザを取れるようになったら
親がいなくても日本にいられる。だから、それまでブラジルでがんばる。その間に
きっと、今の考えと、たぶんいろいろ変わると思うし、ブラジルが自分にとって本当に
よかったら、そのときはずっとブラジルにいると思う。でも、一度日本に戻りたい。
みんなと会ったり、いろいろなことをしたい。


赤く色を変えた部分を読むと、
「でも」「でも」と、15歳なりに考えて闘っていることがわかります。
日本で暮らすデカセギ子弟の多くが、こうした悩みや葛藤を抱えています。
学校にうまく馴染めない子や、自分の存在意義を見失ってしまう子も多いです。
でも、親は仕事がとても忙しくて、子どもの変化に気づかないことが多いそうです。

こうした現状があることを、もっと知っていかなくてはいけないなと感じます。



そして、
同発表の中には、彼らの多くが退学する理由はいじめ・差別よりも学習意欲の低下だ
とも書いてありました。
教師の役割は大きいです。先生が変わったから学校を辞めている、という例はよく
あります。教師は、彼らに単に知識を伝達するだけではありません。
勉強の楽しみだとか、達成感というのを、一人一人の子どもに伝えていく。非常に熱心な
先生がいて、一緒に学んでいく、知識を伝えるだけでなくて、学び方を教え、学ぶ意味を
教える。そういう先生の中にいると、彼らはきちんと卒業できます。先生が、学習に対する
自己決定、楽しみ、達成感を伝え、それを身につける学習環境があれば、安直に工場に
行かずに、きちんと勉強していくのではと思います。


どきっとしました。
「とりあえず一年間教える」ではなく、「一年間が終わった後、この子がどうなっているか」を
考えていきたいなと強く思いました。
卒業して、黒板も教科書もなくなったときに、その子の中に残っているのが本当の教育だ
というような言葉を前に聞いたことを思い出しました。





なんだか、
今回は字ばっかり
ダラダラ書きました。

最近、
いろいろと
考えることが多いです…。

(←デカセギ写真展の様子)

0 件のコメント:

コメントを投稿